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又兵衛桜の由来には後藤又兵衛の最期がキーポイント

2017/01/13

NHKの大河ドラマ『葵・徳川三代』のオープニングで使われて有名になった又兵衛桜
昨年の大河ドラマ『真田丸』では、後藤又兵衛の生き様も描かれ
興味を持った人も多いのではないでしょうか?

そんな後藤又兵衛に関係があるような名前の又兵衛桜の由来についてと
気になる後藤又兵衛の最期についてお話したいと思います。

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又兵衛桜の由来は?

NHKの大河ドラマのオープニングで使われたことで有名になった又兵衛桜は
奈良県宇陀市大宇陀区本郷にある樹齢300年を超えると言われるしだれ桜です。

本郷の瀧桜と呼ばれることもありますが
今では又兵衛桜と言われることの方が多いですね。

もちろん由来は、戦国時代の豊臣と徳川の戦である大坂夏の陣で活躍した後藤又兵衛
本来の歴史で後藤又兵衛は、豊臣側の武将で
徳川の大軍を相手に何度も押し返したものの、最期は豊臣秀頼から授かった脇差「行光」で
家来に自分の首をはねさせたと言うことになっています。

つまり大坂夏の陣で最期を迎えたということになるわけですが
いくつかの言い伝えが残っていて、
その一つが実は夏の陣で戦死したのは又兵衛の家臣で
又兵衛自身は何とか生き延び豊臣家の没落後に奈良県に来て僧侶として一生を終えたというもの
後藤又兵衛が住んでいたと言われる屋敷跡に生えていることが又兵衛桜の由来となっています。

ただ先日、とあるラジオ番組を聞いていると
この又兵衛桜のあるところに取材に行ったらしく
そこで出会ったご老人曰く
『この又兵衛桜は、うちの嫁がここに植え替えたものだと・・・』
言っていたとの情報もあるようで、どっちが正しいのかはわかりませんが
ただ、立派なしだれ桜であることは間違いないことなので、どっちのでもいいのでは?
このように思うところもあります。

この後藤又兵衛ですが、本当のところどこで最期を迎えたのかわからないような伝説が
数多く残っている武将の一人で本当にどこで最期を迎えたのか謎です。
歴史的には、大坂夏の陣で討ち死にしているみたいなんですけどね・・・

ということで、ここからは後藤又兵衛の最期について
わかる範囲の伝説を下に書いていきたいと思います。

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後藤又兵衛の最期はどうなったの?

1615年 慶長20年の5月6日大坂夏の陣にて
徳川方の伊達政宗・松平忠明などなどの大軍を相手に激戦
そしてなくなったというのが後藤又兵衛の最期と言われています。

ただ、それなら又兵衛桜はウソになってしまうわけで・・・

●奈良県宇陀市で隠遁説

後藤又兵衛が、奈良県宇陀市に落ち延び僧侶になったと言われ
姓も後藤から水貝に変えて暮らしていたとのこと

●愛媛県伊予郡松前町筒井に落ち延びた説

昔から知っていた松山城主の加藤義明を頼って落ち延び百姓となったと言われる。
この地域の開拓に精を出し『後藤新田』や『後藤堰』を開発して
1634年 寛永11年に亡くなったとされる。
筒井の大智院にある二基の五輪の塔は、後藤又兵衛の妻のものと言われている。

松前町に近い伊予市では、又兵衛の墓や首塚と言われているところもあり
話も、首だけ丁重に伊予市まで運び供養したと言われたり
実は、大坂夏の陣で亡くなったのは又兵衛の家臣で
生き延びてこの地まで来たと言われたりといくつか存在する。

他にも愛媛県では、久万高原町や道後温泉での話がいくつか存在しています。
理由の一つは、
又兵衛の叔父である藤岡九兵衛が伊予の国の寺で住職をしていたからなのかもしれませんね。

●大分県中津市に後藤又兵衛の墓

こちらもやはり、大坂夏の陣で戦死したのは影武者で
知り合いだった女性を頼って大分県へたどり着き
亡くなったときに、村人がお墓を立ててくれたというお話

まとめ

又兵衛桜と後藤又兵衛のお話は、いかがでしたか。
結局のところ、又兵衛桜は
後藤又兵衛が住んでいたと言われているところに咲いているからとのことで
もしかしたら、住んでいたかもしれないけれど
住んでなかったのかもしれない

ただ、どちらにしても立派なしだれ桜ということで一度は見てみたいものです。

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